やきもの日記 ~とある窯元の主張~

古小代(江戸期の小代焼)を展示替え

江戸期の小代焼

小代焼の歴史・略年表

小代焼中平窯では
「ただ作品を販売するだけでなく、小代焼の歴史や制作背景にも触れていただきたい!」
という思いがあり、古小代(江戸期の小代焼)の展示や工房見学を行ってきました!(^^)!


先月~今月にかけて古小代の展示替えを行いまして、新しく向付と風炉の展示を始めました。
どちらも【古小代焼讃歌】という図録に掲載されている作品です!

また、同時に小代焼の歴史についての略年表パネルをデザインしていただきました~!
以前は手作りのデコパネを置いていましたが
「ん~、もっとちゃんとしたパネルの方が小代焼の価値が伝わるんじゃないか…?」と考え、きちんとした物を設置しました。

伝統的な工芸品ですので様々なご意見を頂戴することもありますが、
まぁ 理屈抜きで古小代が好きですし、小代焼の制作は楽しいのです(^^)
「焼き物好きの方々に少しでも良さが伝わってくれれば!」と思っています。

工房見学もいつも通り行っていますので、興味のある方はお気軽にスタッフまで声をお掛けください。

2022年8月6日(土) 西川智成

【小代焼中平窯 西川講生 作陶50周年展】のお知らせ

西川講生 新作を制作中

2022年、熊本県荒尾市の

『小代焼 中平窯』の窯元:西川講生は作陶50年を迎えます。

西川講生は50年前に人吉球磨地域の一勝地焼10代目・成田勝人氏に弟子入りしました。

 

一勝地焼は江戸期から焼き続けられてきた焼き物でしたが成田勝人氏の代で廃業し、今となっては幻の焼き物です

 

西川講生は30年前に故郷である熊本県荒尾市で独立し、熊本県を代表する陶器である小代焼を作り続けています。

【作陶50年とこれから】

窯元の西川講生は人吉の一勝地焼で焼き物の道へ入り、1991年に生まれ故郷の荒尾市で独立。

長年、普段使いの食器を中心に作陶してきました。

71歳になった現在も小代焼の伝統を大切にしつつ意欲的に作陶しています。

現在は展示会へ向けて新作を多数制作中です。



【小代焼中平窯 西川講生 作陶50周年展】

期間: 7月29日(金)~31日(日)の3日間

場所: 小代焼中平窯/熊本県荒尾市樺1192

時間: 9:30~17:00

概要:展示会へ向けて制作した新作を展示販売。また、参考資料として現在は幻の焼き物である

一勝地焼(非売)も展示予定。


2022年7月6日(水) 西川智成

小代焼か上野焼か? 白釉葉形向付(藁灰釉楓形皿)

白釉葉形向付(藁灰釉楓形皿)

白釉葉形向付(藁灰釉楓形皿)

『第二十五回熊本の美術展 小代焼』2005年

『国焼茶陶 上野焼展 初期から現代まで』2002年

先日、玉名市立歴史博物館こころピアへ とある古陶磁を拝見しに伺いました。
その器は
熊本県立美術館『第二十五回熊本の美術展 小代焼』2005年
に掲載されている白釉葉形向付です。

実はこの器、たいへん面白い一品でして…!

同手の品が
上野焼400年祭実行委員会『国焼茶陶 上野焼展 初期から現代まで』2002年
に藁灰釉楓形皿として掲載されているのです。

古陶磁研究家(上野焼)の方のお話によると、高台内の削りの様子から「小代焼ではないか。」とのことでした。
※詳しく言うと高台内の渦巻き模様で判断されたそうです。

しかし、土や釉薬・全体の雰囲気は上野焼と見分けがつかないとのこと。

先日、玉名市立歴史博物館こころピアで実物を拝見した際には ありがたいことに直接触れせていただきました!
私の感覚としても「江戸期の小代焼かな。」とは思ったのですが…、
「じゃあ江戸期の上野焼と、どこが明確に違うのか?」と質問されると返答に困ってしまいます(^^;

発掘調査等で同じ品が発見されればちゃんとした答えが出るのでしょうが、博物館の方も出所は分からないとのことでした。

しかし、一見しただけでは小代焼と上野焼の区別がつかない品があることも悪くはないように思います。

小代焼は400年前に上野焼の陶工が熊本に移り住んだことにより始まるとされていますので、区別がつきにくい作品があることでかえって歴史的な繋がりを感じました。
まぁ明確な証拠が見つかることに越したことはありませんが、それまでは小代焼と上野焼の繋がりを感じつつ「明言はできないけど、たぶん小代焼だろうな~」と、この品を眺めることにします(^^)

2022年6月18日(土) 西川智成

陶工・源七について ~小代焼開祖の一人~

『海路 第6号 【特集】九州やきもの史』

中央に「源七ニ有」との記述あり

最初に書いておきますが大変マニアックな内容になっております(^^;

また、私は歴史の専門家ではありませんので誤認や資料の見落としがあった場合は申し訳ありません。
もし間違いがありましたら、お問い合わせフォーム等からご指摘いただけますとありがたいです…!

先日、古陶磁研究家の方から大変興味深いお話を聞きました。
今回の「やきもの日記」は牝小路家初代である陶工・源七についてです。

小代焼は約400年前、牝小路家初代・源七(+その息子と孫)と葛城家初代・八左衛門が肥後へ移住したことから始まるとされています。

1753年に玉名郡奉行所に提出された先祖書によると、源七は子、孫とともに三代で肥後へ移住したとのことです。
1630年生まれの孫・又兵衛が2歳の時に肥後へ来たとされますが、それが細川家転封1632年のことだとすれば数え歳では3歳のはずですので覚え違いであると思われます。
まぁ、個人的には1年違いなので許容範囲の間違いかと思います。

前置きが長くなってしまいましたね…!
言いたかったのは、私が知っている源七に関する事柄は 肥後移住時の出来事からなのです。
しかし先日、古陶磁研究家の方から肥後移住前/豊前時代の源七に関する文章を教えていただきました。

内容としては
上野焼・皿山本窯に関係すると思われる陶工(あるいは売子)から領主はかうろ(香炉の意か?)41点と茶碗32点を購入し、代金は米で支払っている。
それらの製品は一か所に収納されている訳ではなく、各陶工(あるいは売子)の手元にある。
そして製品を手元に置いている中の一人として「源七ニ有」との記述がある。
というのです!
※永青文庫『松本市彦・栗山伝助・田中猪兵衛・加藤親兵衛四人へ遣差紙控帳 御奉行所』より

上記の内容は2008年の『海路 第6号 【特集】九州やきもの史
に記載されています。

因みに1990年の『上野 高取 八代 小代』では高鶴元氏が丹後時代の源七について言及されています。
それによると『丹後細川能番組』の中に「たるや源七」という記述があるらしいのです。
しかし、作陶とは関係のない能出演者としての記述でしたので、私の知識ではこの「たるや源七」と「陶工・源七」が同一人物なのか判断がつかない状態でした…(^^;

源七は皿山本窯専属だったのか、当時存在していた他の窯と掛け持ちで勤めていたのかは分からないようです。
しかし、源七が皿山本窯と関係があり、細川家から注文を受けて作陶していたことが分かり感動しました(^^)

2022年5月24日(火) 西川智成

藤田美術館 ~大阪出張の記憶~

曜変天目茶碗 ※藤田美術館HPより

個展在廊のため、久しぶりに大阪へ行ってきました(^^)

去年は新型コロナ拡大中での個展でしたので大阪へは行けず…2年ぶりの大阪でした。
在廊はお昼からのためいくつか美術館へ訪れまして、その中の藤田美術館についてご紹介します。

4月の始めにNHK日曜美術館で青磁花入の修復が放送されていましたので、直ぐに実物を見ることができ良かったです!

そして藤田美術館と言えば「国宝 曜変天目茶碗」が有名ですね。
8碗ある国宝のお茶碗のうちの1つで、一般的にも知名度のあるお茶碗ではないかと思います。
私が行った時も曜変天目茶碗の周りは人だかりができていました。

それと個人的に嬉しかったのは樂家初代・長次郎の赤樂茶碗が展示されていたことです。

今は図録やネットで簡単に見ることができますが、やはり実物のサイズ感・質感・雰囲気を直接見ることはとても勉強になります!

藤田美術館は今年春にリニューアルオープンしたばかりでして、洗練された素敵な空間でした。
また大阪へ行く機会があれば是非とも訪れたい場所の1つです(^^)

勝手ながら
藤田美術館のホームページ
にもリンクを繋げておきます。

受付カウンターがないので戸惑いましたが、スタッフの方へ声を掛けると丁寧に案内していただきました。

2022年5月2日(月) 西川智成

陶のうつわといきもの展

大阪へ発送した作品達

大阪へ発送した作品達

今回は展示会のお知らせです!(^^)!
第3回となります「陶のうつわといきもの展」を大阪dandeliOnさんにて開催いたします。

会期は4月23日(土)~5月8日(日)
途中で店休日などもありますので、詳しくはdandeliOnさんのホームページ等をご確認ください。

最近制作していましたギリシャ神話の怪物たちから普段使いの器まで、幅広く展示していただく予定です。

陶器の生き物達は比較的自由に作っていますが、器は小代焼としての焼き上がりに誇りをもって作ってきました。
藁灰釉による青小代・白小代・黄小代、さらに小代焼の代表的な技法である流し掛けを施した器を多数出品しています。

私も4月23日(土)・24日(日)は大阪で在廊予定です。
それに伴い24日(日)は熊本の小代焼中平窯は臨時休業となりますので、お気を付けください…(^^;

昨年は新型コロナの影響で在廊取りやめとなりましたので久々の大阪です!
個展ももちろん楽しみですが、時間を見つけて美術館等へも足を延ばそうかと考えています(^^)

2022年4月20日(水) 西川智成

茶寮松柏さん 明日オープン!

SNSも運営されています。

熊本市水前寺に「水前寺ギャラリー 茶寮松柏」さんがオープンします!(^^)!

茶寮松柏さんのインスタグラム
はこちら↑

カフェギャラリーとのことですので、気軽に立ち寄れるのではないかと思います。
今回は色々とご縁がありまして、小代焼中平窯の作品も展示していただくことになりました。

グランドオープンは明日、2022年3月26日(土)です。
お近くの方はぜひ(^^)

私は残念ながらオープンには行けませんが、都合を見て伺う予定です。
水前寺を盛り上げたいという熱意をとても感じましたので、きっと素敵なお店として営業されていくことと思います。

2022年3月25日(金) 西川智成

山田山庵氏の茶碗

山田山庵氏の茶碗

山田山庵という数寄者の方をご存知でしょうか?
私は恥ずかしながら今年に入ってからその存在を知りました。

山庵氏を知ることができて心から良かったと思います。
いや~、今年一番の衝撃でした。(まだ1か月しか経ってませんが…笑)

因みに私は炎芸術の楽茶碗特集号で知りました。
高校生の頃から気になる特集は買うようにしています(^^)

数寄者の陶芸といいますとこれまでは川喜田半泥子氏しか頭にありませんでしたが、炎芸術を読んで 直ぐに山庵氏の図録を取り寄せました。

今の時点では作品や考え方・生き方を全体で見ると半泥子氏が好きなのですが、作品単体で見たときには山庵氏の方が好きかもしれません…。
まあ別に順番をつける必要はないんですが。

まさに本阿弥光悦が昭和を生きたのならば、あのようの茶碗を作ったのではないかと思えます。

九州ではなかなか見る機会がありませんが、東京へ行った際には是非とも実物を見に行くつもりです!
あと、休日に楽焼をやってみようかな~とも考えています(^^)

2022年2月15日(火) 西川智成

小代焼の作風は?(上野焼や唐津焼との比較)

瓶焼窯跡 (熊本県南関町)

以前も同じようなことを書きましたが、今回は小代焼の作風についてのお話です。

結論から言いますと、小代焼は江戸期から現代まで作風(技法や釉薬)の変化が少ない焼き物であると思います。

特に釉薬は藁灰釉を使い、流し掛けによる装飾が多いことはずっと一貫しています。

これは変化しないことの良し悪し、もしくは革新的であることの良し悪しに言及しているわけではありませんので誤解の無きよう…笑

しかし、変化のないor革新的であるということは常に相対的なものであって「〇〇と比較して。」という比較対象を必要とします。
私は最も比較対象として適切なのは上野焼、次に唐津焼であると考えています。

小代焼はそもそも上野焼の陶工が熊本へ移動したことがきっかけとなり始まりましたので、源流が同じです。
例えるならば兄弟(双子)のような間柄ですので、それぞれの違いを比較するのに最も適していると思います。

そして唐津焼ですが、これは小代焼や上野焼を含む朝鮮系陶器の中で最も規模が大きく全国的であるのが唐津焼であるからです。
また、小代焼で多用する藁灰釉は岸岳系古唐津にて初めて使用されたとされていますので、その変遷を比較することも適しているかと。

小代焼や斑唐津に関して藁灰の使用には説がいくつかありますが、ここでは藁灰(もしくはイネ科の植物灰)を使用したという前提で書かせていただきます。ご了承ください。

【上野焼との比較】
小代焼の源流となった上野焼は細川家時代では、後の小代焼や初期高田焼に繋がるような作風です。
これは、おそらく細川忠興 もしくは細川忠利の好みであると思われます。

しかしその後、細川家が肥後入国してからは小笠原氏が藩主となり、新たな茶道師範の加入、陶工の代替わり等が重なって 薄作りで釉薬の種類が多いものへと作風が変化していきます。
特に江戸後期には、技巧に重きを置いた装飾の多い作風になったようです。

一方、小代焼の産地である肥後では 細川家の肥後入国以降は国替(幕府が大名の領地を差し替えること)がなく、基本的に細川家好みの作風で一貫していたと思われます。
また、江戸後期までは牝小路家・葛城家の一子相伝であり、他地域の陶工が制作に関わらなかったことも作風が変化しなかったことに影響していると思われます。

【唐津焼との比較】
当時の都市部や海外へも輸出していた唐津焼は朝鮮系陶器の中で最もメジャーな存在でした。
単純に生産規模が大きければ それだけ陶工や窯の数も多く、多様な技法・製品が生まれやすい環境となります。
また、大規模生産・大規模消費の唐津焼は販売先の好みに合わせて目まぐるしく作風を変化させました。

私たちが唐津焼と聞いて想像する斑唐津、朝鮮唐津、絵唐津は小代焼が制作され始める時代にはすでに作られなくなっていました。
斑唐津は藁灰系の釉薬であり、小代焼で言うところの白小代や青小代と同系統の釉薬となります。

ちなみに古武雄(二彩唐津や三島唐津‥弓野焼)は比較的長く続けられたようです。

一方、小代焼は瀬上窯開始までは瓶焼窯(牝小路家と葛城家の共同窯)を両家が1年交代で使用する程度の生産量でした。
江戸後期までは卸売りもしておらず、表向きには民間への販売も行われていませんでした。
そのため、多彩な作風が生まれにくい環境でした。

【まとめ】
以上のような比較から、小代焼は江戸期から現代まで作風(技法や釉薬)の変化が少ない焼き物であると言えます。

多彩な作風が生まれなかった背景には陶工の性格も関係したかもしれませんが、特段の証拠があるわけではありませんので ここでは深く言及しません。

ちなみに現代の作り手がどのような作風を目指すかは全くの自由であり 開かれているべきとも思います。
しかし、その中で「江戸期から近現代までの小代焼はこのような作風であった。」ときちんと説明することも重要であると思うのです。

私も「これは小代焼じゃないですよ~」と説明した上で磁器や鉄絵、梅花皮から立体作品まで作っています。
近々「休日に楽焼をやってみようかな」とも考えていたりして…笑

今回はめちゃくちゃ長文になってしまいましたね。
暇な時にでも読んでいただければ幸いです。

2022年2月10日(木) 西川智成

光悦考

光悦考

15代 樂吉左衛門氏の書籍です。

※2019年には息子さんが16代目を襲名されているようです。

前半の歴史・宗教のお話はいくぶん淡々と書かれていましたが、後半の本阿弥光悦や茶碗のお話は かなり感情が入っておられるようでした。

5年後とか10年後とか
長次郎や本阿弥光悦の名品を見た後に読むと、また違った印象で読むことが出来そうです(^^)

本阿弥光悦の父や祖父の時代、
本阿弥家を含む町人達は自ら武器を持ち(強力な武力集団だった)、一向衆と激しく衝突する様子は興味深かったです。

普通に商売をしたり、気楽にお茶を楽しむのとは また違った時代だったんだなと‥。

文化の理想郷のように描かれがちな「光悦芸術村」ですが、光悦が移り住んだ当初は 追い剥ぎや辻斬りも珍しくない土地だったそうです。

樂美術館
誠に勝手ながらリンクを貼っておきます…。
私は樂焼は専門外ですので、こちらをご覧いただいた方が良いかもしれません(^^;

2022年1月30日(日) 西川智成

加藤唐九郎 桃山に挑んだ陶芸家

加藤唐九郎 氏

志野茶碗 銘 『鬼ヶ島』

雑誌『太陽』

太陽 特集・加藤唐九郎】

昭和を代表する陶芸家のお一人で、もはや存在そのものが伝説のような人物です!

写真2枚目
志野茶碗「鬼ヶ島」

この茶碗を1つだけ残し、窯出しした他の作品を全て割り捨てたのだとか…!!

その風貌も含め 漫画やドラマの中の“陶芸家”そのものです。
詳しく知りませんが、よく見る陶芸家イメージは唐九郎氏が元になっているんですかね‥?

ちなみに中平窯では(少なくとも定番食器に関しては)めったに割りませんよ 笑

中学生の頃は塾の休み時間に『やきもの随筆』を読んでいました。
最近知りましたが『やきもの随筆』は中学生でも分かるように書いた本とのこと。

こちらの【太陽 特集・加藤唐九郎】はなんと中古64円で購入!
めちゃくちゃ良い買い物でした(^^)

2022年1月17日(月) 西川智成

本阿弥光悦の『熟柿』が好き!

国宝 『不二山』

『熟柿』

本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)という人物をご存じでしょうか?
江戸初期の大芸術家です。

刀剣の鑑定や研磨、拭いを家業とする本阿弥家に生まれますが、書・陶芸・漆芸・茶と多彩な才能を発揮した人物です。

その本阿弥光悦が制作したとされる楽茶碗。
これがいいんですよ~!好みは分かれるでしょうがとにかく好きなんです(^^)

おそらくもっとも有名なのは『不二山』という銘のお茶碗で、国宝に認定されています。
実は国宝の茶碗の内、制作者が分かっているのは『不二山』だけなのです。

そして本阿弥光悦のすごい所は国宝だけでなく重要文化財に茶碗や書が複数登録されていることです。
日本美術界の「横綱」といっても差し支えない存在です。

そして私が最も好きなのは『熟柿』という銘のお茶碗です。
他のお茶碗の方が有名ですので、光悦作の中ではマイナーな存在かもしれません(^^;
でも、好きなんです!理屈はありません 笑

まぁ敢えて言葉にするならその温かいフォルム、釉薬の質感とも相まって触覚を刺激するといいますか 両手に包んで撫でたくなります。
そして赤楽茶碗特有の暖色系の色味、さぞ緑のお茶が映えるのではないかと思います。
一応“茶碗”という器ではあるのですが、高台部分に代表される造形感覚は茶碗の常識にとらわれず、茶碗”という器に含まれる口・胴・腰・高台・見込みなどの要素を一度分解して 本阿弥光悦の美意識によって再構築された別物のようです。

理屈じゃないと言いながら長文になってしまいました 笑

本の中で憧れるだけの存在でしたが、今年は時間を見つけて本物の光悦作のお茶碗を見に行きたいです(^^)
※『熟柿』の方ではありませんが。

『熟柿』の方はたしかサントリー美術館に収蔵されていると思いますので、そちらもいずれ見たいと思っています。

2022年1月14日(金) 西川智成

北大路魯山人の“用と美”

学生時代に購入した魯山人氏の著書

学生時代に購入した北大路魯山人氏の著書を読み返しておりました。
いや~、改めて読むと面白いですね(^^)

ずっと毒舌だと思っていましたが、年末に購入した川喜田半泥子氏の随筆の方がずっと毒舌でした 笑
そちらは別の機会に紹介します。

『魯山人味道』の方は美食がテーマですので、陶芸に興味がなくても面白いと思います。
若鮎と河豚の話がとにかく美味そうで、一度は本格的なものを食べてみたいと思っています。
まぁ お金と時間の問題をどうにかしなければいけませんが…笑

器について「用の美」とはよく耳にします。
しかし、和食器として用の美をここまで考えた人物は魯山人氏が一番ではないかと思います。
過去~現在まで真摯に取り組んでいる方は多くいらっしゃいますので言い切ることは難しいですが、少なくとも“同時代の同レベルで著名な陶芸家の中では一番と思えます。

高校生の時は特に気にしていなかった魯山人氏ですが、30歳を前にして書籍を見返すことが増えました…!

魚(鮎)を生きたまま料亭へ運ぶ情熱や、日本料理を一品ずつ出すことの新しさを令和の現代で意識することはありません。
しかし、現在では当たり前のことの中に魯山人氏の創意工夫があり、それを気にしないほど日本文化に溶け込んでいます。

これは仁清を意識せずとも、陶磁器の贈答品売り場が仁清の影響を受けていることと同じだと感じます。

魯山人氏の生い立ちや美意識については、簡単には語りつくせぬところがありますが、今回はこの辺で。

2022年1月4日(火) 西川智成

民芸理論と社会制度

柳宗悦 『民と美』

書き出したらかなりの長文となってしまいました…(^^;
すみません…。


今回は民芸(民藝)について考えていこうと思います。
私自身は18歳~19歳の多感で精神的に弱かった時期に、柳宗悦氏の著作に幾度も心を救われました。

今では違う考えを持っていますが、当時は「柳氏こそ世界の真理だ!」と心酔し、私にとってのヒーローであったことは間違いありません。
因みに現在は出川直樹氏の考え方が最も腑に落ちますので、真逆の考えになってしまいましたが…。
※何故私が柳氏に心酔し、そして考え方が変わっていったかは 別の機会に。
まぁ 5年くらいすれば、また別の考えになっているかもしれません 笑

少々脱線してしまいましたね…(^^;

今、私が民芸について思うことは
「なぜ民芸と社会制度の関係についての言及が少ないのだろう…?」
「当時、柳氏が主張した内容が変化して伝わっていないだろうか…?」

ということです。

私が柳氏自身の著作を読んだ上での(10代後半はひたすらノートに書き写していました)、民芸理論&民芸思想への解釈を書かせていただきます。
その解釈は
「民芸思想&民芸理論は社会主義とは不可分のものであり、安易に資本主義を土台にして民芸を理解しようとすると 柳氏が主張していた内容と乖離せざるをえない。」
というものです。

資本主義を是としつつ同時に民芸理論&民芸思想を是としてしまうと それが悪意のない無意識であっても、柳氏が主張した内容を個々人の勝手な都合でアレンジしたり 良いとこ取りをしなければ辻褄が合わなくなってしまう
のではないかと。

アレンジのしすぎなのか、深く考えすぎなのか、民芸を元にした各人オリジナルの理論&思想が時々誕生しているように思います。
誤解の無いように書きますが私はアレンジや良いとこ取りは悪いことだとは思っていません!
1つの考え方について意見が分かれるのは健全ですし、私もその一人でしょうし。

以下は柳氏の著書『工芸の道』からの引用です。
柳氏自身が問い、柳氏自身が答えている部分です。
誠に勝手ながら個人的に重要だと思う部分を太字にしております。

‐‐‐‐‐

問 正しい民藝を復興し得る望みが果してあるか。
 

答 私は希望を失わない。現代の制度をこのままに肯定して、その上に正しい民藝を建てようとするなら望みは薄い。制度それ自身が「正しさ」と「美しさ」とを拒むからである。だが宗教よりして道徳よりしてまた経済学よりして、現代の資本制度が正当な健全なものでないということは、すでに公理であると云ってよい。現代が自らの病気に斃(たお)れる日は近づいている。一切の社会主義的運動は今後強まるとも、決して弱まることはあり得ない。私は改変せられる将来の社会制度の上に、来るべき工藝の輝かしい運命を信じる。最近における中世社会制度に関する研究の勃興と、ギルド社会主義の主張とは、最も注意すべき現象である。ある者はそれを「復古主義」として非難する。しかしそれは復古とか逆行とか模倣とかいう意味に依るのではなく、そこに永遠な、古くしていつも新しい社会法則を見出しているのである。過去への崇拝ではなく永遠な原理への認識である。ギルドに古今はない。

‐‐‐‐‐

上記の引用をご覧いただければ分かると思いますが
柳氏は民芸の実現を世の中が社会主義となることを前提として語っており、そもそも資本主義の世界で民芸を実現しようとは考えていない
のです。
民芸の創始者である柳氏自身がそう明言している
のです。

ただし、2点ほど当時と現代の違いを説明する必要があるとは思います。
それは以下の内容です。

1・当時は現代よりも資本家と労働者の格差が目に見えて大きく、労働環境が悪かった。
今でも労働環境に苦しむ方々は多くいますので軽々しいことは言えませんが、当時の労働環境が悪かった(全てではないでしょうが…)のは事実のようです。
少なくとも現代ではそれなりの社会保障がありますので、当時とは状況が違うという事は理解しています。
2・昭和初期の世界恐慌に日本も巻き込まれ深刻な不況となった。一方でソ連は大成功していたと当時は認識されていた。
実際にはホロドモールというウクライナ人を中心とした大飢饉が起こっていましたが、昭和初期に柳氏がそれを知る手段はありませんでした。
なお、ホロドモールの発生原因は立場により見解が分かれますので この場でその是非を論じることはしません。

以上のように民芸理論は社会主義思想(※民芸理論においては道徳的秩序を持つ者同士が 精神的に固く結ばれたギルド的社会主義)を土台としているのです。
柳氏が当時の資本主義を受け入れることが出来ず社会主義に希望を見出したということも理解はできます。

現代において民芸を語る際、民芸と社会制度の関係に言及する機会がもっと多くても良いのではないかと思うのです。
そちらの方がより正確な理解に繋がるのではないかと。

以下追記:
私は原理の拡大解釈や悪意のない誤解は、理論や思想が広がる上で最も重要な要素だと思っており、それ自体はごくごく自然な現象だと理解しています。
なんか難しく書いちゃいましたが、まぁ端的に言いますと“ユルくなる”ってことです 笑

それについての善悪を言いたい気持ちはこれっぽっちもありませんので悪しからず(^^;

例えばキリスト教が広がる過程でクリスマス行事が誕生したり、門下生が多い
空手等の武道が 大木の枝のように流派を増やすことと同じことであると思っています。

これらは良い悪いではなく、単純に私の興味の対象なのです。

しかし今回は、たまには原点を振り返ることも良いのではと思った次第です。

余談ですが、北海道の有名な「鮭を咥えた木彫りの熊」は民芸ではありません。
実は農民美術運動という全く別の運動により誕生した工芸品なのです。
民芸運動のリーダーである柳氏はこの運動にかなり批判的でしたが、今となっては一般的にユルく「民芸品」と認識されています。
これも面白い誤解の例かと。

追記が長くなりましたね。
今日はこの辺で失礼します(^^;

2022年1月3日(月) 西川智成

川喜田半泥子(かわきたはんでいし)

展示会の図録

“偉大なる素人” 川喜田半泥子

『川喜田半泥子 展』
定休日を利用して見に行きました!(^^)!


何年も前から本やテレビ(日曜美術館の録画)を見返していましたので、実物を見れて感激しております!

銀行頭取や電力会社社長などの要職を務めた財界人で、陶芸はあくまで趣味であった半泥子。
作品は売ることなく 友人達へ分け与えていたそうです。

アマチュアという特殊な立ち位置ですが、陶芸界へ多大な影響を与えた(今も与え続けている)人物の一人です。

私は仕事・商売として焼き物をしていますので同じことはできませんが、大変勉強になりました。

個人的な感想ですと、
伝統的な器形や技法を駆使して制作しながらも
(中には かなり独創的な作品もありますが‥!)

特定の産地を背負っていないという、良い意味での軽やかさが素晴らしかったです。

古典に迫るほどの力がある作品なのに、変な気負いが全くない感じ‥。

こんな焼き物が作れれば幸せだろうなと思えます。

行橋市増田美術館

2021年12月10日(金) 西川智成

「小代焼と言えば!」の藁灰釉を考える

青小代輪花七寸鉢 藁灰釉を施した新作

小代焼の釉薬として代表的な青小代・白小代・黄小代、さらに流し掛けに使用する釉薬は藁灰釉です。

藁以外でも笹、竹、籾殻、萱などを使う場合もありますが、いずれもイネ科の植物灰であることは共通しています。

中平窯の場合ですと藁灰・土灰・長石の3つを調合して白小代の釉薬を作っています。
それに木灰・陶土もしくは鉄(ベンガラ)などを加えると青小代や黄小代になります。
※釉薬に使う原料や調合は窯元によって違います。

古い小代焼では象嵌、刷毛目、鉄絵(絵というより文字)などの作例も見受けられますが、あくまでも主体は藁灰釉です。

源流を同じくする上野焼が江戸後期になるにつれて多彩な釉薬・装飾技法を取り入れていくことと対照的です。

中平窯でも様々な釉薬がありますが、8割以上は何らかの形で藁灰釉を使っています。
「小代焼はどこまで行っても藁灰釉」という想いが強いのです。

まぁ楽しみで白磁や梅花皮を焼く時もありますが、あくまで“個人的な楽しみ”です。
…と言いつつ「鉄絵なんかもやってみようかな~」と取り留めもなく考える今日この頃なのでした(笑)

う~ん、今日は文章の締め方が分からなくなってしまいましたが、一応このままにしておきます。

2021年11月10日(水) 西川智成

小代焼発祥を考える

瓶焼窯跡 小代焼窯跡としては、確認されている中で最古

久々に小代焼の発祥について考えていきます。

今回は定説である「細川家の移動に伴い、上野焼職人が福岡から熊本へ移動した」説についてです。

まぁ結論から言いますと、この説でほぼ間違いないと思います。
基本的に小代焼発祥についての質問には、この「細川家の移動に伴い、上野焼職人が福岡から熊本へ移動した」と説明します。

しかし個人的に気がかりなこともあります。
上野焼職人が移住した当初の制作実態がよく分かっていないことです。

南関町に残っている瓶焼窯跡が、確認されている中では最古の小代焼窯跡となります。
この窯は1700年代に改築された窯で、その下に一回り小さな窯跡も確認されています。
この瓶焼窯跡以前の実態がはっきりとは分かっていないというのが現状です。
(地下にある一回り小さな窯跡の開始時期はいつ頃か?肥後入国直後はこの一回り小さな窯で焼いていたのか?初期は別の窯があったのか?などなど)

1644年には牝小路家・葛城家(上野焼から熊本へ移ってきた焼き物職人)が南関町に定住していたと思われる資料があります。
両家は屋敷近くの田畑を耕し、税の面でかなり優遇されていたという内容です。
その1600年代の制作実態が分かれば、より一層小代焼への理解が深まるだろうなと思います。

「荒尾市の古畑窯」や「八女市の男ノ子焼職人」が関わっているという説がネット上でも散見されますが、どちらも確かな文献・物証は見つかっていません。

古畑窯は確認できる中では熊本県で最古の登り窯跡ですので、小代焼と繋がりがないとしても貴重な窯跡であることは確かです。
この件に関連して加藤清正や井土(韋登)新九郎と小代焼の関係に言及したサイトも見受けられますが、加藤清正や井土(韋登)新九郎と小代焼との関係は憶測の域を出ていません。

男ノ子焼職人は1600年代半ば~1600年代後半に小岱山へ移ったとする文献(伝承?)があるそうなのですが、当時小代焼では民間への卸売をしておらず牝小路家・葛城家による一子相伝の時代です。
仮に小岱山へ男ノ子焼職人が移った事が事実だとしても、牝小路家・葛城家が制作していた小代焼との繋がりは見つかっていません。

もしも牝小路家・葛城家側の文献から「男ノ子焼職人を迎え入れた。」等の記述が見つかれば、小代焼の歴史が大きく変わるかもしれませんが…!

上記2説について有田町の九州陶磁文化館に尋ねましたが「う~ん、今のところ小代焼と関係あるとは言えませんね~。」とのことでした。

…いやいやしかし、今回は話題がマニアックになりすぎましたね(笑)
暇な時にでも読んでください。

歴史の新説について、文献等の情報をお持ちの方はお問い合せフォームからご連絡いただけますと嬉しいです!

2021年11月3日(水) 西川智成

紆余曲折の展示会 無事終わりました!

【小代焼中平窯 30周年展】何とか無事に終わりました~!
コロナで延期を余儀なくされた展示会でしたが、幸い感染状況が落ち着いた中で行うことが出来ました。

多くの方からお祝いの言葉をいただきまして有難い限りです。

今回は「何気ない普通の器作り」の大切さを感じた展示会でした。
誰かが「初日で売り切れるのが良い展示会ではなく、最終日までお客さんが楽しめるのが良い展示会だ。」と言っていたような…?
誰か忘れましたが(笑)

最初の3日間で普段使いの器が少なくなってしまい、後半にお越しいただいたお客様も もっと楽しめる展示会にしなければな~と思いまして…。

少し気が早いですが、来年の春の展示会までに制作する物もおおかた決まりました!

他のイベントが落ち着きましたら、また飯碗やそば猪口、お皿などなど
普段使いの器を中心に作っていきます!(^^)!

2021年10月22日(金) 西川智成

2021年秋 登り窯を焚きました(^^)

登り窯 煙突

登り窯 注連縄

2021年9月に焚いた登り窯。
先日 作品をすべて出し終えました。

私が小代焼中平窯に勤め始めて5年が経ちましたが、今回はその中でも最高の焼き上がりと言っていいです!!

実は窯焚き中にとあるトラブルがありまして、落ち込んでいたと言いますか…
正直体調が悪くなるくらい心配していまして、窯の中を見て無事を確認した時はホッとしました。
※トラブルの内容は落ち着いたら改めて書くかも…?

いや~、今回ほど窯の神様に感謝したことはありません(笑)

今月は8日(金)から30周年展、その他取材2つ、窯元巡りなどなど…
てんこ盛りですが、一段落しましたら また薪割り・土作りからコツコツと進めていきます!(^^)!

2021年10月3日(日) 西川智成

30周年展 10月開催!(^^)!

西川智成

西川講生

最近の「とある窯元の主張」がこの話題ばかりになり、すみません…(^^;

熊本県の蔓延防止等重点措置が今月末に解除予定であることを受けまして、10月に展示会開催を決めました(^^)

しかし「コロナ」って何なんでしょうね?
全体像が分かるのは5年後10年後とかになりそうな気がします。

私は一昨日2回目のワクチン接種を終えてこの文章を書いています。
まぁ接種するかどうかは自由なんですが、個人的にはスムーズに2回の接種を終えられたことは有難いことだと思っています。

副反応が収まったら、展示会へ向けてどんどん作陶しますー!!

‐‐‐‐‐‐‐‐

場所:小代焼中平窯 熊本県荒尾市樺1192

期間:10月8日(金)~10月12日(火)の5日間
時間:9:30~17:00

概要:会期中は一部を除き、2割引きにて展示販売いたします。
また、アルコール消毒の設置、常時換気、スタッフのマスク着用、飲み物サービスの中止等新型コロナ対策も行った上での開催となります。

小代焼は熊本県北部で始まった陶器で、国の伝統的工芸品に指定されています。その小代焼窯元の一つ「中平窯」が開窯30年を迎えました。

窯元の西川講生は人吉の一勝地焼で焼き物の道へ入り、1991年に生まれ故郷の荒尾市で独立。
長年、普段使いの食器を中心に作陶してきました。

そして5年前の2016年、息子の西川智成が作陶に加わりました。
現在では釉薬の調合や窯焚きの担当は西川智成へと移り、伝統を大切にしつつ試行錯誤を続けています。

今展示会で小代焼中平窯の紡いできたことと新たな取り組みを同時にお見せできればと思います。

2021年9月13日(月) 西川智成

30周年展 延期することになりました…!

成形・窯焚きはコツコツ進めます。

う~~ん…!
9月に30周年展を予定していたのですが、残念ながら延期を決めました。
難しいですね。

この文章は2021年8月28日現在を記録する意味もあります。
数ヶ月後~1年後とかに読み返してみようかなと思います。

まあ言わずもがな、新型コロナウイルス感染症の影響です(-_-;)
いやいや、強いですねデルタ株…。

出来れば10月には開催したいと思っていますが、まだどうなるか分かりません。

とりあえず今月中旬から制作予定を組みなおしました。
本来であれば今頃登り窯の窯詰め中ですが、そちらは先延ばしにして成形作業中です。

会期が延びたのは仕方ありませんので「制作時間が増えたから、たくさん作れる!!」と考えることにします。

正式に会期が決定しましたらInstagram、ホームページ等でお知らせいたします!
質、量ともに より充実させたいと思っていますのでご期待ください(^^)

展示会中はもちろんのこと、普段の営業時間中も新型コロナ対策を行った上で営業いたします。
今後とも小代焼中平窯をよろしくお願いいたします!

2021年8月28日(土) 西川智成

点で頑張る→やがて線になる

登り窯周辺に積み上げた薪 一ヶ月後に窯焚き予定

なんとなく最近考えていることをつらつらと書いていきます(^^;
ちょっと自分で整理しきれていないので、とりとめのない文章になりそうです。

まあ結果から言いますと
「先々を見越した仕事は大事だけど、何が起こるか いつ死ぬか分からない。
初めから線で物作りをせずに、点で物作りをして振り返ったときに線になっていればいいや。」
という感じです。

私が実家に帰って小代焼の仕事を始めたころに「1年後の目標・3年後の目標・5年後の目標」とA4用紙にまとめてロクロの横に貼りました。
一応今でも貼っていて、何かに迷った時に見返しています。

頭の中で「こうすれば自分も中平窯も順調に成長する!」と考えていましたが大きな想定外が2つありました。
「熊本地震」「新型コロナウイルス感染症」です。

熊本地震での直接の被害はほとんどありませんでしたが、お客様がぱったりと来なくなり、かなり焦った記憶があります。
今でもそうですが小代焼中平窯では卸売りを殆どしておらず、直接窯場ギャラリーにお客様を呼んでいました。

今では熊本地震の影響は少なくなりましたが「災害があっても作品を見てもらう場所をもう一つ持っておかなければ…!」と考え、オンラインショップを立ち上げるきっかけとなりました。

そして新型コロナウイルス感染症。
うーん、長引きますね。
2020年よりは大分良くなりましたが、遠方から観光にいらっしゃるお客様がガクンと減りました。
現在進行形で1ヶ月後の展示会をどうしようかと考えています。

また、話は変わりますが、私は昭和陶芸が好きでよく本を読み返しています。
そして、過去の尊敬する偉人たちは皆この世にいないことに思い至りました。
「魯山人氏も唐九郎氏も半泥子氏も清明氏も。」
ここに自分を並べることはおこがましいですが、尊敬する人々はもうこの世におらず、自分もいつ何がきっかけで作れなくなるか分らんなぁと…。


上記のことから
「今しかないのだから、毎日毎日自分が満足する仕事をしよう。
最初から先を考えずに、点で頑張ったことが結果的に線として繋がっていればいい。」
という想いが強くなった今日この頃なのでした。

2021年8月1日(日) 西川智成

小代焼中平窯 今年は開窯30年!

窯元:西川講生

西川智成

なんと!今年は中平窯30周年です!(^^)!
現在、展示会へ向けて制作中です。
時期が近くなりましたら、ホームページ・インスタグラム・お葉書等で改めてお知らせいたします!

‐‐‐‐‐‐‐

小代焼は熊本県北部で始まった陶器で、国の伝統的工芸品に指定されています。

その小代焼窯元の一つ「中平窯」が開窯30年を迎えました。

窯元の西川講生は人吉の一勝地焼で焼き物の道へ入り、1991年に生まれ故郷の荒尾市で独立。

長年、普段使いの食器を中心に作陶してきました。

そして5年前の2016年、息子の西川智成が作陶に加わりました。

現在では釉薬の調合や窯焚きの担当は西川智成へと移り、伝統を大切にしつつ試行錯誤を続けています。

今展示会で小代焼中平窯の紡いできたことと新たな取り組みを同時にお見せできればと思います。


小代焼中平窯 30周年展

場所:小代焼中平窯 熊本県荒尾市樺1192
期間:9月17日(金)~9月21日(火)の5日間

時間:9:30~17:00

概要:会期中は一部を除き、2割引きにて展示販売いたします。

また、アルコール消毒の設置、常時換気、スタッフのマスク着用、飲み物サービスの中止等

新型コロナ対策も行った上での開催となります。

2021年7月8日(木) 西川智成

人気ブロガー「けんさむ」氏 来窯!

西川智成(左) けんさむ氏(右)

ブログで紹介していただきました(^^)

熊本県の人気ブロガー「けんさむ」さんにお越しいただきました!(^^)!

『けんさむの熊本紹介』というブログで熊本県の魅力を精力的に発信されています。
ちなみに小代焼中平窯の記事はこちら。

因みにけんさむさんはKABに出演されていましたので、熊本県民でご存じの方も多いかもしれません。

当日は作品と一緒に工房見学もしていただきました!
小代焼中平窯では「歴史や制作背景と一緒に小代焼を楽しんでいただきたい!!」という想いがあり、普段から工房見学を実施しています。
気になる方はお気軽に声をお掛けください(^^)

また、現在は皿&小鉢が品切れ・品薄状態です(-_-;)
今月~来月に制作を進め、8月末くらいから新作を焼く予定ですので暫くお待ちください…!!

焼き上がりましたら、ホームページやInstagramでお知らせします!

2021年6月20日(日) 西川智成

初のオンライン展示会!

たくさんのご注文、ありがとうございました(^^)

管理画像が2,000をこえました。

5月に初のオンライン展示会を企画しました!
現在は全国的に遠出がしにくい状況ですので、遠方のお客様を中心に気軽に手作りの陶器に触れてほしいと考えての取組です。

ちなみにオンラインショップはこちら

九州を中心に、近畿、関東、北陸などなど 全国各地からご注文いただきありがとうございました!

今の状況で、オンライン展示会は良い取り組みだったかと(^^)
今後も年1回~2回ほどのペースでオンライン展示会をやりたいな~と思います!

いやしかし、ネット関係は専門ではありませんのでなかなか大変でした(^^;

窯焚き以外での徹夜は久々で、学生時代を思い出していました(笑)

早く気軽に移動し、観光し、趣味を思うようにできる世の中に戻ることを願います。
ちなみに来月、父のワクチン接種があります。少しずつ前進ですね。

2021年5月14日(金) 西川智成

【捕食者なき世界】

最初に断っておきますが、今回の文章は焼き物と全く関係ありません(^^;
まあ、あえて言うのであれば動物達を作る時の何かのヒントになればと思い、数年ぶりに本を読み返しました。

「捕食者なき世界」は5年ほど前に購入した本で、自動車学校の待ち時間に読んでいた記憶があります。

自然公園のオオカミから小さな潮溜まりのヒトデまで、その生態系の頂点が不在となることで バランスが崩れるというお話です。


頂点捕食者の不在により、特定の生物が異常繁殖して生態系が崩壊するんだとか。

しかし 三毛別羆事件なんかを読むと、人間より上位捕食者の存在は怖すぎるなぁ…(-_-;)
とも考えたり…。

まぁ、別に何かの答えを出したい訳じゃないんです。
たまには本を読んで、モヤモヤ~と考えながら動物作るのも 変化があって良いかと思った次第です。

ーーーーーーーーーー

“ダム湖にできた人工の島は、サルにとって捕食者のいない楽園のはずだった。

だがサルの異常増加によって地獄絵図が繰り広げられる”

「捕食者なき世界」

一応Amazonのリンク貼っときます。

2021年5月3日(月) 西川智成

熊本駅ホテル 『THE BLOSSOM KUMAMOTO』 オープン!

西川智成作 子ザル 双葉

西川講生作 三耳壺

西川智成作 面取傘立

2021年4月23日、熊本駅にオープンするホテル
「THE BLOSSOM KUMAMOTO」

アミュプラザくまもとの9階~12階、JR九州ホテルズの宿泊主体型ホテルです。

そのホテルのロビー等に私が制作した子ザルや傘立て、父が制作した皿や三耳壺を設置していただけることになりました!(^^)!

昨年末から制作を進めてきまして、3月にほとんどの作品をなんとか無事に焼き上げました。

特に『子ザル 双葉』は思い入れのある作品ですので感慨深いです。
以前紹介したエピソードですが、改めて紹介します。

ーーーーー

【サル 双葉】
熊本地震があったその日、その時間に この作品を制作していました。
大きな被害はありませんでしたが揺れが怖く、数日の間 工房に入らない日が続きました。

久しぶりに制作を再開すると、作りかけのサルから双葉が生えていることに気づきました。
粘土の中に植物の種が入っていたようです。

災害のあったタイミングで双葉が生えていたことに希望を感じ「なんだかいいなぁ」と。
生えていた双葉は自宅の目の前に植え、代わりに粘土の双葉をサルにつけました。

2021年4月12日(月) 西川智成

一生でどれだけ仕事ができる?

窯焚き中の登り窯

「一生で300回」

この数字は果たして多いのか…?少ないのか…?
私にとっては、とても少なく感じます。

これは一生のうちの窯焚き回数なのです。
※年6回×50年という単純計算ですので、実態とは少し違うかもしれませんが…(^^;

なんとなく日々の仕事をしていると特に考えませんが、改めて「あと何回焼けるんだろう?」と考えました。
20歳~70歳まで事故や病気などのアクシデントなく仕事をしても300回しか焼けないと考えると、とてつもなく少ない気がしまして…。

20代のうちからこんなことを考えんでも良い気もしますが
「人生が3周あれば、頑張って1,000回くらいは焼けるのにな~!」なんて思ってしまいました。

なんだか日々の取るに足らないことで動揺して制作の手を止めてしまうのは、とてももったいないなぁと。

まあ目の前の仕事を地道に進めるのは変わりませんが、一回一回の窯焚きを大切にしていこうと思う今日この頃なのでした。

2021年2月2日(火) 西川智成

2021年 制作の目標について

石の杖をつくミノタウロス

明けましておめでとうございます(^^)
小代焼中平窯の西川です。

今回は今年の目標について箇条書きで書いていきます。
まぁ、個人的なメモのような性質が強い文章ですが、今年の終わりにでも見返すと新しい発見があるかな~と(^^;
少しばかりお付き合いください…!

【釉薬について】
・梅花皮釉を完成させる。
・新しい原料で藁灰釉、土灰釉、透明釉系の実験を成功させる。

【器について】
・食器の形や雰囲気を和食器・洋食器で意図的に分ける。
・和食器は古小代や古陶磁の雰囲気を大切にする。
・洋食器はシンプルなデザインを心掛ける。

【お茶について】
・5年、10年単位で気長に。
・小代焼の本流を意識する。

ざっとこんな感じです(^^)
あとはその都度、課題を見つけて取り組んでいこうと思っています。

ちなみに1月2日(土)より営業しております。
本年も小代焼中平窯を、どうぞよろしくお願いいたします!

2020年1月3日(日) 西川智成

お茶を習い始めました(^^)

自作の灰釉茶碗

タイトルの通り、今月から少しずつお茶を習うことになりました!

前々からお茶道具に興味はあったのですが中々踏み出せずにいました…(^^;
今回はご縁がありまして、熊本市内で月2~3回ほどお稽古をしていく予定です。

私自身、古小代を見るときに雑器に面白みを感じることもあるのですが、お茶道具の方により魅力を感じていました。
※お茶道具の方が優れているということではなくて、私個人の好みの問題です。

今は右も左も分からない状態ですが、ちょっとでも制作の糧にしていければと思います(^^)

2020年12月16日(水) 西川智成

富本憲吉氏について

【現代陶芸の造形思考】

【現代陶芸の造形思考】
大学時代からたまに読み返している本ですが、未だに100%は理解できていません。

表紙は富本憲吉氏の白磁大壺。

富本氏は「模様の作家」「民芸運動の立ち上げメンバー」として、陶芸界で有名です。

しかし、当時としては珍しく 作家として模倣の延長ではない独自の表現を模索していたり、
後に民芸(というより柳宗悦氏)にかなり強く反発して訣別したことは あまり知られていないように思います。

個人的には富本氏に賛成or反対みたいな強い感情は無いのですが、現代に繋がるとても重要な歴史の1頁としてとらえています。

以下、富本氏の言葉です。
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『造らんとする壺の外線を心におきつつ轆轤すれば、軟らかき陶土の無数の異なりたる外線は内に外にうごきて止まず。われはこれを「線の戦い」と名づけたり。』‥1914年
※現代陶芸の造形思考より

『だが、しばらくするうちに、彼らの主張に根本的に私と相いれぬものがあるのを発見したのである。私は民芸派の主張する、民芸的でない工芸はすべて抹殺されるべきだというような狭量な解釈はどうにもがまんならなかったのだった。』‥年代は不明
※出川直樹氏の著作より

2020年11月19日(木) 西川智成

【小代焼中平窯 秋の展示会】無事に終了しました(^^)

2020年10月30日~11月3日の5日間、小代焼中平窯にて『秋の展示会』を開催し、無事に終了しました(^^)

世界中が厳しい状況が続いていますが、本当にありがたいことに多くのお客様にお越しいただきました!
ありがとうございました!


会期を2日→5日にしたことで、ある程度 密集を避けた展示会になったかと思います。
暫くはその他の新型コロナ対策も徹底し、今回のような形で展示会を行っていく予定です。


小代焼中平窯の陶器は全て手作りであって一点物が多いです。
さらにサイズや形を揃えた数物であっても、作品一つ一つに個性があります。

微妙な違いを見比べながら作品を直に選ぶ楽しみは、窯元ならではの体験だと思いますし、中平窯ではそこを大切にしたいと考えています。


取り敢えず片付けを済ませてから粘土作り・薪の整理を行い、作品制作の準備を進めます。
いくつか新作の構想がありますので、来年にはお見せできるように頑張っていきます!(^^)!

2020年11月7日(土) 西川智成

ソラシドエアの機内誌『ソラタネ』掲載!!

小代焼や中平窯について掲載していただきました。

ソラシドエア機内誌『ソラタネ』

航空会社ソラシドエアの機内誌『ソラタネ』に小代焼中平窯を見開きで紹介していただきました!(^^)!

現在は新型コロナの関係で、機内ではなく搭乗口あたりに設置してあるそうです!

取材では順番に小代焼の制作工程を見ていただき、小代焼や中平窯についてお話ししました。
丁寧にまとめていただき、ありがたいです!ご縁に感謝します。

ソラシドエア

2020年11月6日(金) 西川智成

NHK熊本 『クマロク!』に出演しました!

取材の様子

対面販売とネット販売についてお話しました

10月22日(木)に夕方のニュース番組『クマロク!』に出演しました!(^^)!

“コロナ禍の小代焼”として、小代焼の現状について多面的に取り上げていただきました。
①小代焼web展示会について
②他業種とのコラボについて
③現地での対面販売について
という切り口で取材していただき、他に小岱焼末安窯さんと小代焼岱平窯さんも出演されました。

①小代焼web展示会について
小代焼に限らず、全国の陶器市やイベントの中止・延期が続き非常に厳しい状況です。

そのような中、小代焼窯元5軒が集まり『小代焼web展示会』を10月の1か月間開催しました。
web展示会は終了しましたが、数件の窯元では今後もネットショップを継続していきます。
(小代焼中平窯ではコロナ対策を徹底しており、10月からは少しづつお客様が戻ってきています。大変ありがたく思います。)

②他業種とのコラボについて
小代焼岱平窯さんは南関町の箸メーカー「ヤマチク」さんとコラボされ、竹箸とお碗のセットを限定販売されました。

また孟宗竹の灰釉を使ったお碗も出品され、地域や素材の繋がりを大切にしたコラボであったようです。

③現地での対面販売について
中平窯の対面販売&展示会について取材していただきました。

ネットショップも運営していますが、素材感や微妙な色味は写真だけで伝えるには難しいところもあります。
今年初めの段階では新型コロナは未知の病でありましたが最近では「こういう対策が有効である。こういう行動は控えたほうがよい。」というのがある程度分かってきました。
もちろん油断は出来ませんので可能な限りのコロナ対策を徹底した上で、現地での対面販売を続けていきます。

2020年11月2日(月) 西川智成

黄小代梅鉢(江戸後期) 展示中です!(^^)!

黄小代梅鉢 部分

黄小代梅鉢 全体

江戸時代後期の作と思われる古い小代焼を展示中です!
※時代はあくまで推測です。

梅鉢という特殊な器で、お皿にそば猪口とか小枝がくっついたような不思議な形をしています(^^)
私が知っている範囲では江戸時代の小代焼にしか見られない形状です。
(私の知らないだけかもしれません!類似品をご存じの方はお問い合わせフォームからお知らせいただけるとありがたいです^^;)
また、色合いは黄色っぽくて所謂「黄小代」と呼ばれる発色です。

有田の九州陶磁文化館の方にお話をうかがったところ「宗教的に特別な日に使ったうつわではないか。」とおっしゃっていました。
ただ、決定的な証拠はないようで あくまで推測のお話のようでした…。

まあ梅鉢が一体何なのかは置いといて、中平窯ギャラリーで展示中ですので、お越しの際はご覧いただけると嬉しいです!(^^)!

2020年9月25日 西川智成

本の紹介 【魯山人陶説】

魯山人陶説

北大路魯山人氏

“つまらない人間に限って、あさはかな了見で計画的に造る作品は、ピントがはずれているのみならず、卑しく嫌みで見られない。”


美食家、陶芸家、書道家など 様々な顔で知られた北大路魯山人氏の著作「魯山人陶説」。

魯山人氏は毒舌家としても有名で同時代の陶芸家、鑑賞者、料理人などなど ことあるごとに著名人を罵倒しています(笑)

最近の陶芸本で、ここまではっきり自己主張したものには出会えないので なかなか貴重な書籍です。(賛否は置いといて)

昭和陶芸界に多大な影響を及ぼした方々の本を持っていますが、最近は魯山人氏のものを読み返すことが増えてきました。
罵倒の中にハッとさせられる言葉、耳が痛い言葉が見つかります。


以上、昭和~現代まで賛否両論ある北大路魯山人氏の紹介でした。
因みに「魯山人味道」という本の方では毒舌は抑えられていて、美食家としての一面が垣間見えます。

2020年9月25日 西川智成

小代焼 初のweb展示会!!!

web展示会 チラシ

中平窯オンラインショップ

中平窯オンラインショップはこちら


2020年10月1日~10月31日に初のweb展示会を開催予定です。
会期中のみ中平窯オンラインショップでお買い上げ2,000円以上で送料無料となります!(^^)!

昨今の厳しい状況で、福岡県での合同展は中止となってしまいました…(-_-;)
今回の合同展はそんな中でも小代焼を楽しんでいただきたいという取り組みです。

慣れない作業も多く四苦八苦しつつですが、現在準備を進めています!

最近は「不要不急」という言葉が飛び交い、その単語自体がなんだか悪者のようになっています。
しかし古今東西、人間の文化的な活動(メインカルチャー、サブカルチャー、趣味全般)はすべて不要不急です。
現在のいろいろと難しい状況の中、どうやって「不要不急である文化的活動を楽しんでいただくか」を考えています。
※もちろんできる限りのコロナ対策を行うことは前提です!!

まだまだ手探り状態ですが、今後とも小代焼中平窯をよろしくお願いいたします(^^)


中平窯オンラインショップはこちら


【参加窯元】
・小代焼ふもと窯
・小岱焼末安窯
・小代焼中平窯
・小代焼岱平窯
・松風焼野田窯

2020年9月12日(土) 西川智成

熊本地震後、希望の双葉

サル 双葉

復興が進む熊本城 2020年8月16日(日)

【サル 双葉】
熊本地震があったその日、その時間に この作品を制作していました。
大きな被害はありませんでしたが揺れが怖く、数日の間 工房に入らない日が続きました。

久しぶりに制作を再開すると、作りかけのサルから双葉が生えていることに気づきました。
粘土の中に植物の種が入っていたようです。

災害のあったタイミングで双葉が生えていたことに希望を感じ「なんだかいいなぁ」と。
生えていた双葉は自宅の目の前に植え、代わりに粘土の双葉をサルにつけました。


 

8月16日(日)に【小代焼中平窯展】は無事に終了しました(^^)
会場までお越しいただき、ありがとうございました!

作品の荷解きを終えたら、また制作に戻ります。
今後とも宜しくお願いいたします。

2020年8月18日(火) 西川智成

半年ぶりの展示会

夏の有明海 材料の貝殻はここから拾ってきます。

7月17日(金)~21日(火)の5日間、【小代焼中平窯 夏の展示会】を開催しました。
その最終日にこの文章を書いています。

新型コロナの影響で1月の大阪dandelionさんでの展示会以来、実に半年ぶりの展示会です。
今月の初めは九州を中心に大雨が降り、例年以上に様々なことに気を使いながら準備を進めてきました。


今回はプレスリリースをすべて取り止め、ハガキでのお知らせも熊本県を中心に地域を限定してのご案内となりました。

普段とは違う形式の展示会となりましたが常連のお客様を中心に多くの方に来ていただきました。
日本全体で厳しい状況が続きますが、そのような中お越しいただき とてもありがたく思います。


これから新しい薪窯を作ったり 新しい釉薬の実験をしたり、今はやりたいことがあれやこれやと頭に浮かんでいる状態です。
少しでも良いもの、焼き物として面白いものを作れるよう制作を続けていきます。

今後とも小代焼中平窯をよろしくお願いいたします。

2020年7月21日(火) 西川智成

社会科見学について

登り窯見学

ロクロ実演

昨日は地元の小学校(私の母校でもある)の社会科見学でした(^^)
土作り→ロクロ→釉掛け→登り窯と順番に見学してもらいましたが、皆さん熱心に話を聞いてくれて嬉しかったです。

自分が小学生の頃を振り返ってみると「釉薬」「窯」というのはイマイチ理解していなかったので、それを小学生にどう伝えるかを かなり悩みました(^^;
どれだけ伝わったかは分かりませんが、少しでも心に残ってくれるとありがたいです!

ちなみに、一番人気はやっぱりロクロ!
土が生き物のように形を変え、あっというまに器になる様子には歓声があがっていました。
(そのリアクションを見ただけでも、見学を受け入れて良かったと思えました^^)

意外と地元の伝統・文化というのは知らないものです。
小学生のうちから小代焼に触れてもらえるというのはとてもありがたいです!
あまり敷居を高くせず、気軽に見に来ていただけると嬉しいな~と思います。


小代焼中平窯では「小代焼の歴史や制作背景も含めて楽しんでいただきたい!」という思いがあり、普段から工房見学を行っています。
ご希望の方はお気軽にスタッフへ声をお掛けください!

工房見学について

2020年6月23日(火) 西川智成

古小代 魚形皿の公開を始めました!

古小代 魚形皿

古小代 魚形皿

今月より江戸後期の作と思われる『魚形皿』の展示を開始しました(^^)

図録に登場する作品はよくヒラメやカレイとされていますが、展示中のお皿はタイをモチーフにしているように見えます。
このお皿以外にも三耳壺、茶碗、水指、雲助などの古い小代焼を公開中です。


小代焼中平窯では「制作背景や歴史、地方性も含めてお客様に体感していただきたい!」という思いがあります。
そのため普段から古作の展示や工房見学を実施しています。


また、以前ネット上では小代焼の歴史等について不正確な情報を載せていたり、正確なものであっても文章量が少なかったりするサイトが多い状態でした。

専門的な内容が多いので一般的なお客様には関係ないことですが、
「小代焼を深く知りたい」という方のためにこのホームページを通して歴史・制作過程に関する事柄を発信していきます!(^^)!

2020年6月12日(金) 西川智成

小代焼 ~その発祥と作風~

瓶焼窯跡 江戸時代の小代焼窯跡

白小代茶碗 江戸中期作と思われる茶碗

↑上の茶碗でお茶を点てた様子

今回は小代焼の発祥と作風について書きます(^^)

ちなみに小代焼の歴史については以下のページにまとめていますので、興味のある方は参考にしてください。
・小代焼の歴史
・牝小路家と葛城家
・瀬上窯について


小代焼は福岡県の上野焼陶工(牝小路家と葛城家)が細川家の肥後入国に伴って小代山(現:小岱山)に移り住み、焼き始めたというのが通説です。

他の説が提唱されることもありますが、現時点で最も証拠が残っており 有力とされるのは上記の『上野焼陶工(牝小路家と葛城家)の移動によって小代焼が開始された』という説です。

私自身、2019年に細川家時代の上野焼窯跡を視察したのですが、窯跡からほんの数100mの地点が「かつらぎ」という地名だと知って感動した記憶があります。


小代焼の特徴として藁灰釉(もしくはイネ科の植物灰を使用した釉)と流し掛け技法の多用が挙げられます。
この特徴は江戸時代から現代までほとんど変わることなく受け継がれており、他産地と比べても変化が少なく 伝統的な手法を受け継いできた焼き物だと思います。

誤解の無いように書きますが、「伝統を守ってた方がエラい!」とか「革新を繰り返す方がスゴい!」とかの良し悪しを言いたいわけではなく、そのような事実があるということです。


私の見解ですが、焼き物の技法・作風が変化することには以下の3つの要因が大きく働くように思います。


①生産規模と消費規模が大きいこと
②他産地との交流・他産地の技法を積極的に取り入れる気質がある
③藩主(もしく当時の権力者や指導者)の好みの変化


①は九州であれば、当時の都市部や海外へも輸出していた唐津焼が典型的な例かと思います。
単純に生産規模が大きければ それだけ陶工や窯の数も多く、多様な技法・製品が生まれやすい環境となります。
また、大規模生産・大規模消費の唐津焼は販売先の好みに合わせて目まぐるしく作風を変化させました。

私たちが唐津焼と聞いて想像する斑唐津、朝鮮唐津、絵唐津は小代焼が制作され始める時代にはすでに作られなくなっていました。
また、焼き締めの作品や天目形茶碗、織部好みの茶碗など多種多様な製品が生み出されています。
ちなみに古武雄(弓野焼)は比較的長く続けられたようです。

一方、小代焼は瀬上窯開始までは牝小路家・葛城家の一子相伝で 共同窯を1年交代で使用する程度の生産量でした。
江戸後期までは卸売りもしておらず、表向きには民間への販売も行われていませんでした。
出土状況から見て、藩外への輸出もほとんど行っていません。
(仮にあったとしてもごく小規模)


②は小代焼の場合 江戸後期の瀬上窯開始までは一子相伝であり、牝小路家・葛城家の時代に 他産地の陶工が小代焼生産に関わったという明確な記録はありません。

男ノ子焼陶工が 1600年代の半ば以降に小代山(現:小岱山)に移り住んだという説もありますが、当時 小代焼を一子相伝で制作していた牝小路家・葛城家と男ノ子焼陶工を繋ぐ資料は見つかっていません。

ちなみに後期高取焼とは交流があったようで、釉薬の調合法が伝えられました。
しかし、銅釉以外は特に採用されなかったようです。

小代焼では刷毛目、象嵌、鉄絵、釉薬で文字を書こうとしたもの等の作例も見られますが、「注文があったからやってみた。」とか「一応試してみたが主力の技法にはしなかった。」というような印象を受けます。
あくまで主力は「藁灰釉」と「流し掛け」です。

詳しい原因は分からないのですが、次で述べるような「細川家の好み」の問題で他技法を採用しなかったか、ひょっとしたら陶工の気質も関係していたのかもしれません。


③は、その時代の藩主(もしくは権力者や指導者)の好みに合わせて作風が変化するということです。
有名な好みに「織部好み」や「遠州好み」があります。

藩主の好みが作風に影響を与えた例として 小代焼に一番近く、かつ対照的なものに上野焼が挙げられます。
小代焼の源流となった上野焼は細川家時代では、後の小代焼や初期高田焼に繋がるような作風です。
これは、おそらく細川忠興 もしくは細川忠利の好みであると思われます。

しかしその後、細川家が肥後入国してからは小笠原氏が藩主となり、新たな茶道師範の加入、陶工の代替わり等が重なって 薄作りで釉薬の種類が多いものへと作風が変化していきます。
特に江戸後期には、技巧に重きを置いた装飾の多い作風になったようです。

一方、小代焼の産地である肥後では 細川家の肥後入国以降は国替(幕府が大名の領地を差し替えること)がなく、基本的に細川家好みの作風で一貫していたと思われます。


これら3つのことが、小代焼の作風がほとんど変化しなかった原因ではないかと私は考えています。


以上、小代焼の発祥と作風を長文で書いてしまいました…(^^;
私の個人的見解も混ざっているので「こんな考え方もあるか~」くらいで捉えてください(笑)

歴史や特徴のページにはもう少しまとまった形で書いているので、そちらも読んでいただけると幸いです。

2020年5月14日(木) 西川智成

盗む人

展示会中の野外展示 中平窯のお客様は良い方ばかりでありがたいです(^^)

自分で書いておきながら穏やかでないタイトルですね…^^;


今回は文字通り“盗む人”がテーマです。

普段の展示場ではめったにありませんが、人がごった返すような合同展や陶器市なんかでは「あれ?包んだ覚えがないのにぐい呑みが無くなってるな…。」ということがたまに起きます。

そうです。作品を盗む人がいるのです…!


父が一勝地焼で修業していた時代は“民藝ブーム”(民藝については、またの機会に書こうと思います。)があって、山の中にある窯元にも大勢のお客さんが訪れていたそうです。

その時代にも“盗む人”はいたようで…。


不自然に開いた傘を持っている人が、ぐい呑みや一輪挿しなどの小さな品物を傘の中に放り込んで帰っていくことがありました。


そんな時に父の師匠は問い詰めることもなく
「盗んだ品物と一緒に悪い因縁も持って帰ってもらったんだ。気にすることはないよ。」
と言っていたそうです。


父から話を聞き、とても信心深かった師匠を表すエピソードだな思いました。

2020年4月29日(水) 西川智成

休業について

窯元・代表 西川講生

今回は窯元の主張という趣旨からはズレるかもしれませんが、
しばらくの間休業することになりましたので、そのお知らせです。

世の中は新型コロナの話題ばかりですが、熊本県でも休業要請・休業依頼が出されました。

これまではアルコール消毒、換気、マスク着用などの対策を行って営業していましたが、休業依頼を受けてお休みすることにしました。
期間は4月22日~5月6日です。

思えば3月の「陶器-梅まつり」に始まり「酒蔵ツーリズム・酒器展」「天神大丸 企画展」「春の展示会」「新作カップ展」
さらには6月の「しょうぶ祭-窯元展」とことごとく中止となってしまいました。

作品を直接見ていただける機会がなく、作り手としては非常に残念に思っています。

今月~来月はひとまずオンラインショップ・ネット通販を充実させ、作品を見ていただける機会を作っていきます。
また、インスタライブを利用した工房見学や作品説明も行う予定です。

早く新型コロナが終息し、直接お客様に作品を見ていただいたり工房見学のご案内ができる日々に戻ることを願っています。

皆様がそれぞれに大変な思いをされていることと思います。
どうぞ、お体に気を付けてお過ごしください。

2020年4月23日(木) 西川智成

古小代の里へ行こう!

古小代の里 奥は駐車場

瀬上窯 駐車場のすぐ横

瓶焼窯 瀬上窯から300mほど坂を上った所にある

今回は江戸時代の小代焼窯跡の紹介です(^^)

小代焼中平窯のある荒尾市のお隣、南関町の「古小代の里」では江戸時代に稼働していた瓶焼窯跡、瀬上窯跡を自由に見学することができます。

現在の小代焼窯元は荒尾市が最も多いのですが、その発祥は南関町と言われています。
※16世紀の小代焼生産については分かっていないこともありますが、
現時点で最も資料(陶片や文献などなど)が残っているのが瓶焼窯、瀬上窯に関連するものです。

他県の窯跡も見たことがあるのですが、「古小代の里」はかなり保存状態が良く、立て看板で窯跡の解説をしてあるのでおススメです!


例年3月には「陶器・梅まつり」として荒尾玉名地域の窯元を中心とした陶器市が開催されています。
今年は残念ながら新型コロナウイルスの影響で中止となりました…(-_-;)

普段はあまり人と接触することなく歴史を見て感じることができる場所ですので、世の中が落ち着いたらぶらっと散策に出かけてみてはいかがでしょうか(^^)?

2020年4月7日(火) 西川智成

別の視点から見る『民芸』

実は数か月前にインフルエンザに罹って、自宅内で隔離されていました…^^;
おかげで本を読む時間がたっぷりあったので、今回はその感想を書いていこうかと思います。


1冊目は加藤唐九郎氏の『やきもの随筆』初版1962年
2冊目は出川直樹氏の『民芸 理論の崩壊と様式の誕生』1988年

立場の違いや書かれた年代を超えて、2つの本はあるキーワードで意見が一致します。

そのキーワード『民芸』です。


書店で民芸特集の本を読んでもなんだかフワッとしているというか、
「手作りっていいよね~(^^)」という内容ばかりで物足りなさを感じていたので、これらの本は読みごたえがありました。
(フワッとしていること自体が悪いとは思っていません(^^;
むしろ初めて興味を持った人のためには大切なことですし、工芸の幅を広げてくれるありがたい存在だと思っています。)


柳宗悦氏の思想や民芸理論について
加藤氏はカトリシズムや柳氏の貴族性という切り口から批評し、出川氏は社会主義的側面や民芸理論の破綻という切り口から批評しています。

その批評を比べると
「民芸理論は生身の人間や、民衆が当たり前に持っている個性を否定している。
また民芸調・民芸風の品物を作ることはできるが、本当の意味で柳氏の理想とする民芸を作り出すことはできない。」
という内容で一致しています。


その後の展開として

加藤氏は「民芸作家の作品は民芸風であっても個人作家の作品であるので、その創造性をきびしく評価し鑑賞する必要がある。」

出川氏は「民芸理論は様々な部分で破綻しているが、柳氏の審美眼は素晴らしい。これを理論ではなく柳氏の“好み”や“様式”と捉え、民芸様式の質や価格を市場経済に任せれば発展できる。」

という結論に達しています。

この結論は二人の立場(加藤氏は陶芸作家、出川氏は工芸研究家)を端的に表しているようで、とても興味深いです。


書籍の数としては民芸を肯定するものが圧倒的に多いと思いますので、別視点の内容にも触れるとなかなか面白いものです(^^)

2020年4月4日(土) 西川智成

窯の神様

焼成中の作品

中平窯では登り窯には神様がいると考えています。
窯焚きの時には米・塩・酒を登り窯に捧げ,二礼二拍一礼をしてから焚き始めます。


ちなみに神社等で二礼二拍一礼を全国的にするようになったのは昭和に入ってからで、比較的新しい作法のようです。
江戸時代は神様への敬意が表れていれば、どんな作法でも問題にはなりませんでした。


父が修業していた1970年代は、今以上に“窯の神様”への信仰が厚かったそうです。
父の師匠である故・成田勝人氏は熊本県最南部にある一勝地焼の10代目でした。

父の師匠は窯焚き1週間前から水をかぶって体を清め、毎日お経(祝詞ではなかったそうです。)をあげていました。
いざ窯焚きの日が近づくと、窯の周りを注連縄でぐるっと囲い神聖な場としました。

その当時の修業先では窯場に女性は入れませんでした。
しかし、ひょんなことから師匠の奥様が窯焚き中に入ってしまい ちょっとした騒ぎになった事が父の記憶に強く残っているそうです。


時は流れて現在(2020年)の中平窯では、そこまで厳しい作法はありません。

しかし、窯に祈りを捧げ火を入れた瞬間の時間・雰囲気というのは なんとも言えない感覚になります。
なんと言うか、気が引き締まる特別な時間です。

こういう言葉ですべてを説明できないことこそ、大切なんだろうなと思っています。

2020年2月15日(土) 西川智成

クロザル ~自撮りをしたサル~

クロザル面

クロザル面

私は家業としての小代焼の制作以外に、動物をモチーフにした置物やお面も作っています。

私自身と鑑賞者 ともに感情を入れやすく、またヒトに近い動物ということでサルをモチーフにすることが多くあります。
今回はお面のモチーフにした「クロザル」というサルの逸話を紹介します。(今回は焼き物と関係ない話題です…^^;)


クロザルはインドネシア・スラウェシ島に生息するサルの仲間です。
このサルは「自撮りをしたサル」として2014年に有名になりました。

2011年にイギリスの写真家デイヴィッド・スレイターがクロザルの撮影のためにカメラを三脚に設置し、カメラのリモートスイッチをクロザルが触れることができるような形で放置しました。
あるメスのクロザルがそのリモートスイッチを押し、自撮りをしたのです。

カメラの持ち主であるスレイターは当然、自身に写真の著作権があると思っていましたが、サルは法律上の人ではなく著作権を持つことが出来ないため写真に著作権は発生しないという指摘を受けることとなります。

結局、2014年アメリカ合衆国著作権局は人間以外の動物による作品はアメリカにおける著作権の対象とはならないと宣言しました。
さらに2016年アメリカ合衆国連邦裁判所でサルは画像の著作権を有しないと判断されました。


サルが自撮り(サル自身にその認識はないでしょうが…)したことで、裁判にまで発展したことが面白く、クロザルはお気に入りのモチーフです(^^)
ちなみにこの騒動をきっかけに、動物愛護団体がサルにも著作権が認められることを求め裁判を起こしたそうです…^^;

2020年1月28日(火) 西川智成

最近読んだ本について

「民芸 理論の崩壊と様式の誕生」

10月に登り窯を焚きながら(窯焚き前半はけっこうスローペースなので、本を読む余裕がある)読んだ本の紹介です。

出川直樹氏「民芸 理論の崩壊と様式の誕生」

内容は好き嫌いが分かれそうな感じでしたが、最近読んだ本の中では一番興味深く読むことができました(^^)



端的にまとめると
『柳氏の審美眼を認めつつも、民芸理論や民芸運動の矛盾点を丁寧に指摘する。
そして、民芸は理論としては矛盾点が多いが「民芸様式」や「宗悦好み」という立ち位置であれば矛盾も無く、今後の発展もあるのではないだろうか。』
という内容でした。

柳氏の著作(「工蓺の道」「民と美」など)を読んだ後に「民芸 理論の崩壊と様式の誕生」を読むことで全体が理解できる内容かなと思いました。


私個人として印象的だったのは「民芸様式の特質」として民芸の特徴が淡々とまとめてある部分でした。

「民芸」の話をするときは肯定するにしても否定するにしても感情的になる場合(柳宗悦本人や北大路魯山人などは象徴的です。)が多いという印象を持っていたためです。

「これは正しい」「あれは間違っている」という事ではなく ただただ柳氏の好んだ様式が箇条書きで示されていました。

今まで、私の中では柳氏を「生きている個人」として認識していました。
しかし、感情的な深入りをせずに歴史の1ページとして距離をおいて「民芸」を論じるあり方は新鮮でした。

従来の民芸理論に親しんでいると 受け入れにくい内容も含まれていますが、新たな視点を気付かせてくれる貴重な一冊です。

2019年11月3日(日) 西川智成

“昔ながら”の作り方とは…?

江戸時代に稼働していた「瓶焼窯」跡

中平窯が携わっている「小代焼」は約400年間、技法(特に藁灰釉や流し掛け)が大きく変わらずに受け継がれています。

時代に合わせて主体となった技法が変わったり、途絶えたりする焼き物がある中で珍しい事例だと思います。

しかし、生産の形態には時代時代で変化があり、一概に「昔は○○だった。」とは言えません。



まず江戸初期から後期までの200年間ほどは二つの家(牝小路家・葛城家)による一子相伝の時代があります。

この時期は卸売をしておらず、両家が一年交代で一つの窯を使うという小規模生産・小規模消費の時代でした。

制作する器としては藩の役所などで使う茶器類が多かったようです。

小代焼の歴史の中でも、かなり長い期間この形態をとっていました。



江戸後期になると瀬上窯が築かれ、職人を雇って生産し 卸売をするという大量生産の時代が数十年間ありました。
幕末に瀬上窯から分かれた野田窯でも、従業員を雇って生産していたようです。
(時期によって人員の増減あり)

この時期に民間用の多種多様な製品(食器に限らず湯たんぽ・味噌漉し・蒸かし器なども)が作られています。



激動の幕末~明治、その後に大正~昭和~平成をへて現在は12軒の窯元が熊本県内で活動しています。
小代焼の窯元数でいえば歴史上 最多です。

江戸時代の小代焼を代表する牝小路家・葛城家・瀬上家は現在小代焼の制作には携わっておらず、現在活動中なのは昭和~平成に開窯した窯元が大半です。



こうやって歴史を遡っていくと、時代に沿って生産形態が移り変わっていったことが分かります。


中平窯としては伝統的な「藁灰釉や流し掛け」に魅力を感じているので、その技法を突き詰めていこうと思っています。

しかし、ただ漠然と“昔ながらのやり方”を目標にするのではなく「いつの」「どんな」“昔ながらのやり方”が理想なのか?とういことを意識して作陶していきたいと思っています。

2019年9月14日(土) 西川智成

窯元で直売することの価値 ~モノを売るだけで終わらない~

ワインカップ 一点ずつ個性があります。

登り窯の見学の様子

焼締ぐい呑み 酒器は特に作品性が強く出ます。

小代焼中平窯では窯元での直接販売を中心に活動しています。

この“作り手が制作現場で直接販売をする”という方法には、ただ単にモノを売り買いするという事以上の価値があると思っています!


私が考える価値というのは主に2つあります。

手作りの魅力が詰まった「一点物」をお客様に見ていただける。
作品の背景(作り方や歴史)について、作り手本人が説明できる。


まずについてですが、手作りの魅力を一番感じるのは「一点物」であると思っています。

窯元での販売以外でも「手作りの一点物」に出会うことはありますが、直接販売以外では作品の自由度や一点物に出会う頻度というのは ある程度の制限がかかるでしょう。

(大阪のdantelionさんには手作りの良さを理解していただいており、一点物も多数取り扱っていただいています。)

大まかな形やサイズはある程度揃えますが、その瞬間瞬間で判断して細工を変え、釉薬を使い分けるという即興性が作品をのびやかにして重々しさや硬さを取り除いています。

特に小代焼の特徴である「流し掛け」という釉薬の掛け方は偶然性の強い技法であり、「商品なんだから、同じような模様にしなければ…!」と考えながら作っていると魅力が半減してしまいます。

また作り手から見ると「原料の調合を少し変えてみよう。」「焼き方に変化をつけてみよう。」と考えた時に、身動きが取りやすいという利点があります。

自分の理想を実現させるため、自分が思い立った時にすぐに実行に移せるのです。

ちなみに個展であれば作品の自由度は高いですが、制作現場を感じていただくという面では難しいです。


そしての作品の背景については、中平窯では制作現場の無料見学を行っています。

制作から展示・販売までを一貫して行っている窯元でしか出来ない体験です。

作り手以外で説明できる方もいらっしゃいますが、正直「う~ん…訂正するほどじゃないけど、その説明の内容は ちょっと違和感があるな~^^;」と思ってしまうことも、たまにあります。

その点、作り手が説明すれば細かいニュアンスを伝えられますし、質問に対してもきちんと答えることができます。

また、数点ですが江戸時代に作られた小代焼も展示しているので「何が現代まで受け継がれ、どの点が時代とともに変化したのか。」ということも感じていただけます。

背景やルーツについて知ることでより生活が豊かになるということは陶器に限らず、音楽・芸術・スポーツ・ファッション・食文化・漫画やアニメ・趣味全般などなど共通ではないでしょうか?


「良い作品を作る!」という事は作り手にとって大前提ですが、より価値を感じていただける方法をこれからも模索していきます(^^)


2019年7月26日(金) 西川智成

焼き物屋がホームページを作ったワケ

窯焚きの様子

私がホームページの運営を始めて3年の月日が経ちました。

焼き物を生業としている「窯元」はそれなりの軒数がありますが、継続的にホームページを運営している窯元となると そう多くはないと思います。


私がホームページを始めた最初の動機は“多くの方々に中平窯を知ってもらうため”です。

ホームページを運営し始めてからは県内外を問わず初めてのお客様に出会うことが多くなり、当初の目標に少しずつ近づいてきました!


それと同時にきちんとした小代焼の情報(歴史とか特徴とか)を、求めている人に届けたいとも思うようになりました。

そのため販売に直接は繋がらなくても、現在は小代焼の歴史などの情報を載せるようにしています。

…かなりマニアックな内容なのでどれくらい見てもらっているか分かりませんが^^;


作陶の合間に情報発信をしているので不定期になりますが、当ホームページが少しでも小代焼の理解に役立ってくれれば…!と思っています。


2019年6月30日(日) 西川智成

営業時間 9:30~17:00

定休日   水曜日、木曜日

電話番号  0968-68-7326

住所 熊本県荒尾市樺1192

 

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