小代焼中平窯 ~熊本の窯元~

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茶器・茶の湯の器

上等品

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薪の窯で制作をしていると、数は少ないですが非常に焼き上がりの良いものが窯から出て来るときがあります。

 

お値段はほかの品と差がありますが、実際に手に取り、見ていただければその違いを感じていただけると信じております。

 

これぞ“焼き物の醍醐味”という品を、ぜひ展示場にてご覧ください。
また、ガス窯で焼き上げた品でも良い焼き上がりであれば見合った値付けを行っております。

皆様のお越しを心よりお待ちしております。

茶陶・抹茶の器

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小代焼は当初、肥後藩の役所で使う茶器を中心に作陶していました。

また、薄茶碗(稽古茶碗)には木箱は付きません。薄茶碗に木箱をご希望のお客様は別途ご連絡ください。

茶の湯と細川家

江戸時代の肥後熊本藩を統治した細川家の三代、細川幽斎(藤孝)、細川三斎(忠興)、細川忠利の親子3世代を通してその歴史を紐解きます。
これらの人物は、戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍し、時代の転換点を生き抜きました。
また、細川家の影響は熊本県の焼き物(小代焼や高田焼)の発展にも関わっており、細川家の歴史を学ぶことは熊本の文化理解にもつながります。


細川幽斎(藤孝)

  • 生年・没年: 1534年~1610年
  • 足利義輝に仕官後に織田信長に仕官し、明智光秀とも深い関係を築きます。
  • 信長の死後も豊臣秀吉、徳川家康に仕え、家督を息子・三斎に譲った後も重用され続けました。
  • 逸話として、豊臣秀吉の所持する大井戸茶碗『筒井筒』が割れた際、幽斎の即興の歌が秀吉の怒りを収めたという話が有名です。
  • また、古今和歌集の解釈を師弟伝承する「古今伝授」を継承し、文化人としても高く評価されました。


細川三斎(忠興)

  • 生年・没年: 1563年~1646年
  • 父・幽斎に続き、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕官し、関ヶ原の戦いでは徳川家康に加勢して130以上の首を取った戦功を挙げたという伝承があります。
  • 忠興は戦国武将として知られ、また千利休の直弟子であり、茶の湯にも造詣が深い大名でした。
  • 正室・細川ガラシャ(玉)との関係が特に有名で、ガラシャが明智光秀の娘であることから、義父の起こした謀反である本能寺の変後も彼女を支え続けました。
  • 1632年、息子・忠利に家督を譲り、熊本藩の基礎を築きます。
  • 忠興が関わった焼き物(初期の高田焼・小代焼)や千利休からの茶の湯の流れも熊本に受け継がれました。


細川忠利

  • 生年・没年: 1586年~1641年
  • 父から家督を譲り受け、豊前小倉40万石から肥後熊本54万石に加増され、熊本藩初代藩主となります。
  • 関ヶ原の戦いでは徳川家康側につき、戦後は藩政を行いました。
  • 性格は穏やかで心遣いに優れ、江戸時代の安定期に細川家の名門を維持します。
  • 1637年の島原の乱にも参加し功績を挙げるが、1641年に父・忠興に先立って早世しました。


まとめ

細川家の三代は、戦国時代の激動を経て、江戸時代の安定した藩主として熊本藩を統治しました。
それぞれが武将としての顔を持ちつつ、茶道や文化活動にも積極的に関わり、熊本の文化に多大な影響を与えました。